2014年1月30日木曜日

【雑記】郵便局との広まる距離感

郵便局というものを本当に使わなくなった。

年に何回行くだろう。

おそらく窓口で郵送物を依頼しなければならない時を除いては年に1、2度行くか行かないかだろう。

年賀はがきの書き損じや余剰分を普通切手(またはハガキ)に交換するときと、お年玉はがきが当選していたとき(所詮切手シートだがこれは毎年コレクションしているので)仕方なく行く。
 

しかしそういう季節物として極めて儀礼的なかかわりにおいてしか、もはや「サービス機関としての郵便局」を利用することはなくなっているということだ。

そして、その郵便局に出向く希少な機会には毎度「なんでこんなに対応が薄鈍いんだろう」とか「サービス業の自覚は皆無なんだなぁ」などとネガティブな印象を持ち帰ることになる。


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初めて自分の貯金を預けるのに口座を作ったのが「郵貯」だった人は多いと思う。僕も御多分にもれずそうだった。


今もその口座は保持しているが、運用はしていない。
住所変更のみは欠かさずしてきたがそれは僕の性分でそうしているだけで、別に必要に迫られてというのではない。

住変を怠って複数回転居を繰り返していると、いざそれをする段になって「転居履歴を明らかにしないと住所変更が受け付けてもらえなかった」などという話も聞く。


そんなところだけは融通がきかず、利用者利便よりも組織の責任回避ばかりが徹底されているようなところは極めて役所的だ。
民営化などとうそぶいてみたところで殿様商売的な気分は体質遺伝的にいつまでも残留し続けているのである。

別に組織批判や政治的な感懐など僕にはない。あるのは「生活者との意識差」に対する批判的な眼差しだけだ。


色々な考えがあっていいと思うが、僕にとっての郵便局は「郵便配達」を行う集配所(流通機関)としての存在意義しか今やなくなっているのである。


そのことに対するこれ以上の考察意欲は殆ど無い