2014年1月29日水曜日

【仕事術】ハードとソフトで考える職場環境と働く意義


本稿では職場環境におけるハード面とソフト面の関連性について考えてみたいと思います。 私の体験に基づく極めて主観的な雑記のたぐいであります。

■ 業務環境の混乱

私がかつて異動を命じられて赴任した事業所は福祉系大規模事業所の管理部門で、主に経理会計・総務的なこと全般を扱う部署でした。行政色の濃い事業所なので会計年度は期首4月で期末が3月、赴任は年度初めの4月。ちょうど前期の決算時期でした。最も忙しい時期です。

赴任した当時そこは混沌として傍目に見ても何が起きてるの?というほどに業務環境としてはかなり劣悪な状況でした。
物の置き場所は明確ならざる状況で、ファイリングの仕組みも滅茶苦茶、重要な資料や個人情報に類する書類も乱雑に散逸しており、職員はそれぞれ自分が何をやっているのかよくわからないままボロボロになって作業をしているような有りさまでした。


業務はそこかしこで停滞しいろいろの支障が生じていました。業者支払いが抜け落ちていたり、逆に回収がずっと以前から抜け落ちたまま無視されていたり。もはや生産性がどうとか効率性がどうのというレベルではなく、組織の体をなさないほどひどい有様。よく今までこれがおおごとにならずに放って置かれたものだと、目の前の状況よりもそちらのほうに驚いていたのです(行政の外郭組織というものの悪しき例です)。

にも関わらず機械ばかりはなぜか新しいものが導入されているというちぐはぐさ。どんなに高性能のコピー機やPCを導入しても、それらを活かす環境がこれでは到底うまく業務を軌道に乗せることなどできないのは誰の目にも明らかでした。

その時の人事異動には前任者数名を入れ替え、根本的な業務見直しを図ろうという意図があり、私はその「見直しメンバー」の一人として関わることになります。

■ 作業効率とハード面の関係

組織の上層部が問題の重大性に真に向き合う意識があったらこうはならないはずですし、対処の仕方ももっと違ったものであったはずですが、何にせよそこで「なんとかしないとならない」という役についたからにはどれほど絶望的であっても放り出すわけには行きません。自分なりの方向性や問題点を見出しながら作業を進めてゆくことになります。

まず私は最初に自分のデスク周りに必要な道具を持参して揃えてみました。しかし、事務所と自分のデスクのリンクが上手く行かず、相乗効果も出ないため、効率化にはつながりませんでした。前任スタッフたちがどういう思考で劣悪環境を放置していたのかが気になりましたが、そういう人的要因を問う前に、私は以下のことについて考えてみました。

・ 建物の構造
(人の動線を無視した構造、雰囲気、衛生面などの問題)

・ 室内の装飾

(業務に無関係なものが多い、整理が行き届いていないなどの問題)

・ カラーリング

 (業務効率を無視した天井・壁・カーテン色、備品の色合の問題)

・ 什器類の配置

(使う人のための配置になっていない、ものの出し入れに手間取るなどの動線の問題)

・ 道具の問題
(作業を効率的に行うための道具が揃っていない、セレクトが不十分などの問題)

これらは要するにハード面の問題はないかということです。案の定赴任した職場はそういうハード面の問題が山積していました。そこにいる人間は無意識にさまざまな印象を受け、心理的に悪い影響を受けている可能性があります。こうしたことは「目に見えにくい(もしくは見えていても問題と認識できない)問題」になっているということが多く、なかなか改善が難しいものです。 

しかしこのような問題に気づいても改善を提議するのは容易ではありません。一定の地位と権限がある場合を除いては、全体の環境に関わることを個人がどうにか出来る場合は少ないでしょう。仮に出来るとしても周囲から相応のコンセンサスを得る努力がいるでしょう。それは簡単なことではありません(これについては後で詳しく述べます)。

■ ハードとソフトで考える

その様なジレンマのなかで私は全体の構造改革ではなく、ハード(環境全体)とソフト(自デスクの環境と実務システム)をいかに機能的に連動させられるかを考えることにしました。職場のルールや公序良俗に反しない形でそれをやるのです。

私が当初失敗したのは、前任地でうまく機能させていた仕組みをそのまま移植しようとしたからでした。事業所(ハード)が違えば必要となる作業システム(ソフト)も違ってくるのは自明の理ですよね。

それを具体的にどうにかしてゆくには、まず何ができて何ができないのかをしっかりと自分で理解し、取り組むポイントを絞ってゆく必要があります。

■ 3つの取組み

連動性を高めるためにまずは以下の3点に取り組みました。

1 整理整頓する
 自分の役割上必要な道具を極限までシンプルに絞る。

まず何はともあれ「何があって何が足りていないのか」を整理し、モノの在処を把握し、片付ける。これをしないことには始まりません。
またデスク周りは自分の使用する基本的な事務用品、ノートPC、電話などの最低限必要なものだけにし、すでにあったそれ以外の不要(要不要の判然としないものは別途ボックスに分別しておく)なものは一切処分します。
これらの作業はいわば「リセットする(デフォルトに戻す)」ということです。今後業務をすすめるうちに何を足して何を引けばいいのかがわからない状況でスタートするわけですから、できるだけシンプルにしておくことが望ましいと思います。その上で時間をかけて自分が最大パフォーマンスを発揮できる道具と配置を模索してゆくのです。

最も地味で大変な作業ですが、この土台作りをしっかりやっておかないと後から必ずいろいろな問題が起きてきます。

2 レイアウトを決める
 動線と仕組みを意識する。

だいたい立ったり座ったり歩いたりすることで成立するのが事務仕事です。まぁ大半は座っていますが、この単純動作の組み合わせで仕事が進むわけですから、これらをいかにストレスフリーにしてやれるかがポイントです。
デスクとチェアは通路及び壁との距離が適正か、動作上のスペースは不自由なく確保されているか、よく使うものが遠くに置かれていないか、通路に無用な物品を置いていないか、ファイル数と棚の収納力は適正か、など確認できることは幾つもあります。

しかし、仮に不具合がみつかっても「部屋が狭いので改善は難しい」や「他者との兼ね合いで自由に出来ない」ということも出てくるでしょう。
そこであきらめる(不満を抱えながらそれに慣れようとする)事もできますが、しかし、それではパフォーマンスを最大化することはできません。自分の仕事を真に効率的で意義深いものにしたいと願うなら、ぜひもう一歩足を踏み込みたいものです。でも具体的にはどうすればいいのでしょうか。

3 周辺環境の整備
 周囲と協力してハード面の改善と整理を進める

2のことを踏まえ、今一歩踏み込んだ取り組みを考えます。ハード面へのアプローチです。
たとえば共有部のファイルの置き方、収納場所、什器の配置などは、現状どのように使いにくいのか日常的にどうすれば使いやすくなるのかをよく観察します。

その上で共有部は集団で管理するものですから当然個人の意図ばかり反映できないという壁にぶつかるはずです。

その対処方法の一つとしてまずは雑談の場でもいいので、すこしずつ周囲に浸透させてゆくのがよいと思います。「この棚の配置ちょっと使いにくい感じしませんか?」という一言からです。一気にかたをつけるのではなく、自らのプランを人に少しずつ伝える努力をするのです。「右に寄せたほうが取り出しやすいですよね?」。

そこに普遍性があれば必ず協力者が出てきます。そしていずれかの段階で「じゃあやってみようか」という事になるかもしれません。ここで教条的で説教じみた言葉を出すのはご法度です。「こういうのって動線無視した悪いレイアウトですよ」なんて言ってみても始まらないわけです。

あくまで共感性を大事にしながら地道に「語る」ことが肝要です。その繰り返しの中で自分で考えているだけでは出てこないようなアイディアも生まれてくるかもしれません。周囲を巻き込むコミュニケーションはいわば個々人が持つ様々な知見を集合知(全体の利益になる知恵というべきもの)に統合する上で重要な取り組みです。

こうした取り組みはたとえ自分に裁量する権限がなくとも案外侮れないものだと思います。現に私の場合、そういう浸透のさせ方で什器の移動や、新規什器の導入を実現しましたし、ファイリングの仕組みについても秩序の再構築を行うことができました。

勿論これだけで全てが解決するほど単純ではないでしょうが、ひとまず周囲の環境と自分の作業環境がリンクされ、一定の作業効率をあげることができるようになるのではないでしょうか。

■ 組織と個人の切ない関係

私は最終的にこの事業所で体調を崩しました。前半相当の無理を重ねて「改善」に取り組んだためです。冒頭に記したような状況への対応は過酷で、連日徹夜のような状態が続いていたのです。日常業務とは別個にそれをやり切るにはあまりに負荷が大きすぎました。実際事業所としての決算には大きな支障がでて、新年度に前年度の不良部分を繰り越すような情けない結果となりましたし、前任者はその職責を全うしていなかったとして懲戒処分を受ける事態にまで発展しました。

しかしそうした組織運営上の問題はさておくにしても、部署の作業の「やりやすさ」には一定の成果を残すことが出来ました。問題が起きた後、それを隠蔽したりなかったことにするようなことをせず、いかにその事態に真摯に向き合おうとするかが大切なのでしょう。人にはそれぞれ「思惑」があるでしょうけど、及ばずながら私はそれを旨に業務に取り組んだつもりです。

ファイル整理を徹底し、什器を組み換え、収納をし直し、道具の置き場を固定して混乱を防ぐようにしました。誰が見てもわかるように表記を再構成し、閲覧性参照性を高めるように工夫しました。 不要物品は時間を決めて職員全体で協力して一括作業を実施する気運を高め、実際にそれを実行しました。情報伝達のあり方や部署間の連絡と共有方法、さらに非効率で無意味な部分を削って簡略化する取り組みも少しずつ進めることが出来ました。管理職では無いポジションながらアプローチは一定成果を上げることができたように思います。個人としてできることは限界までやったと思います。

■ アプローチのその先

ハード面にアプローチする段を経験してみると、ようやく自分がどんな仕事をしていたのかが見えてくるような気がします。「場所」と「人」の関係が詳(つまび)らかになってくるわけです。
本当は何のためにこの作業をしているのだろうとか、なぜこの仕事は必要なんだろうとか。その時初めて労働とその目的に思いが至ります。そして「効率的」であることと「必要性」が必ずしも比例しないということにも気が付きます。何でもかんでも合理的に端折ってスピードを上げれば良いわけではなく、時として逡巡し、じっくり考え、対話を重ね、省みて立ち止まり後ずさりもする。それからまた少し前進する。そんな風に働く場所と働く者の関係は切ないほどにデリケートなものだと気がつくのです。

正確性や迅速な処理が必要な場面は多いです。事務なんてそもそも情緒的なものを極力排しなければできない側面があります。数字を扱っていれば計算のミスが許されないように、個々の作業はまったく動かし難く機械的なものかもしれません。
でも本当は効率や合理性を云々する前に、いかにそこに関わる人間の心理的な負荷を減らせるかという視点が大切なのではないでしょうか。
つまり「人格と人格の兼ね合いの中で作業をしている」ということを知るんですね。ハード面とソフト面の関連性について考えることはそのことに気がつくための大切な一歩のように思うのです。

やったことは末端の末端、作業者としてのささやかな取り組みに過ぎません。組織運営や業績、 グランドデザインも関係ありません。ただそこにいる人々にとってどうしたら働きやすい環境になるのかという基本的根源的な問題へのアプローチです。前述したように、そのアプローチの結果として自分が仕事をしている意味に気がつけるのかもしれません。左程に業務環境と人間の関係は密接で重要なものであることを実感したのです。