2015年1月8日木曜日

【仕事術】忘却の効用


1 気がかりを抱えるタイプ、忘れるタイプ

仕事のことが気がかりで、帰宅しても休みの日でも気が休まらないという経験をお持ちではないだろうか。
私も以前はそうだった。
だが、家にその気がかりを持ち帰ってみたところで少しでも状況が好転したという試しはなかった。
持ち帰って仕事をしてもいらいらするだけだったし、どこにも逃げ場がないような気がしてやるせない気分が募る一方だった。
当然である。休むときに休めていなければ心も体もストレスで充満して健康的でいられるわけがない。きちんと休養や気分転換が図れなければパフォーマンスが落ちて成るものも成らなくなるのは自明である。

一方、同じような業務をこなしているのにいつも一定の成果をあげられるタイプもある。ストレス環境にあってもそれを上手にかわしているように見える。深刻に悩む風でもない。家に仕事を持ち帰っている様子もない。
私はこれをみて最初は段取りがよいだけなのだろうと思っていた。
しかし、よくよく考えると、やっていることにそれほどの差はなかったのである。
違いがはっきりしていたのは「気分」の持ちようだった。
そのタイプの人間は業務と私生活とをきちんと分けていた。もっと端的に言えば業務以降の解放時間には業務のことを「忘れる」ことができていたようだった。

2 主体的忘却の効用

人間は「忘れる」生き物である。記憶は放っておいたらどんどん脳内の奥底に移動していって、特にきっかけや必要がなければ思い出せなくなる。これが「忘却」である。
上で述べた例でいう「忘れる」というのは、そういう経年による記憶の劣化のことではない。選択的に「忘れる」ことを指している。
これを私は「主体的忘却」と仮称する。
つまり、今さし当たって必要のないことや、無関係と判断できる事柄は「忘れておこう」ということである。人間には実は記憶と忘却を選択的にコントロールする力がある。ほとんどの場合は無意識にそれをしている。重要なことは忘れないようにしようとするし、いやなことやつらいことはできるだけ記憶域から排除しようとする。
しかし、これを意識的に行えたらどうだろう。それが「主体的忘却」である。なにを忘れ、なにを記憶して置くかを取捨選択するのだ。
それができれば、気持ちを場面に応じて切り替えることも自由になる。前段のオンとオフの切り替え、仕事と休養の切り替えがコントロールできるというわけだ。
しかし言うほどたやすくできないと思うかもしれない。確かにそうだ。でもコツをつかめば誰でもできる。

3 「忘れる」ために工夫する

主体的に忘れるためには「いまから仕事のことは忘れるぞ」というきっかけが必要だ。心でそう念じてもいい。
だが、やりかけの仕事や忘れてはならない諸事が多い場合、念じる程度ではどうにもならないこともあるだろう。
そんな時は備忘録に記述しておくことをおすすめする。
備忘録は文字通り「忘れることに備える記録」である。そこに書いたら、次に読み出すまでは「忘れてよい」ということを自分に言い聞かせるのである。「なんだ、そんなの誰でもやってる。当たり前のことだろう」と思われるかもしれない。だが、仕事内とか、家庭内で個々に完結するものとしてメモを取る場合はあっても、場面の切り替えを意識してそうすることは少ないのではないだろうか。ここでは備忘を意識の「切り替え」の為に使うことを推奨している。
たとえばテレビゲームを想像してもらえればいい。ゲームを途中で中断するときにセーブ機能を使って記録をする。電源を切ってゲーム世界から現実世界に意識が移る。そんな具合だ。これを日常の場面の切り分けに応用してやればいいのである。

4 「忘れる」ための記録の仕方

記録といっても、あらゆることを記録しておくことはできない。後で思い出すための「きっかけ」を残してやるのだ。ちょうど記憶をタブ表記してそれぞれにインデックスをつけるイメージだ。
それを物理的に何かに記述してやることで、脳は「ああ、もうとりあえず忘れていいんだな」と認識できるようになるだろう。
脳内では、そこまでの作業のすべての記憶をひとまず別部屋に待避させ、次の出番まで休ませておくことになる。
そして自分は晴れて気分を変えて次の場面に移ることができるのだ。思う存分遊んでもいいし眠ってもいい。趣味に埋没したっていい。気がかりはみんな後でちゃんと思い出せるのだ。

しかもこれには「おまけ」が付いてくる。
今解決できない問題や難航している課題がある場合、それをひとまず「寝かせ」ることで、状況が変化したり別のアイデアがひらめいたりする可能性が生まれるのである。気持ちを切り替えると別の場面で感じたことや見聞きしたことをふまえてもくるのだから、当然その影響もあるだろう。リフレッシュの効用と言い換えてもいい。

もっと「忘れる」ことで時間を有意義に使いたいものである。