2008年11月1日土曜日

【思索】「大切なもの」と出会うために



 私は事務仕事なので筆記具も帳面(古い表現かもね)もたくさん使いますし、職場にも公用で購入した廉価な事務用品がたくさんありますので、それらも消費的に使用しています。

 でも、たくさんある品物の中から自分にとって最適を選び出し、それに特別の思いをこめて使用する喜びも最近つとに感じていて、やっぱり公費ではなく、自費で購入して愛着を持たせていったほうが遥かに良いと、マイマスト探しにいそしんでいるしだいです。

 手帳にしてもペンにしても、日ごろ自分が使うものにはたくさんの選択肢があります。店頭にはそれこそ所狭しと華やかに各社入り乱れて魅力的な品々が並んでいます。WEB上にも紹介サイトや販売サイトが無数にあり、それぞれに「イチオシ!」「店長おすすめ!」などの言葉とともに良さげな商品が楽しげに紹介されています。


 でも、やっぱりそういうものを参考にしつつも「自分にとっての大切なもの」が人それぞれ違うように、良いと感じるポイントも人それぞれなんですよね。だから、自分の「大事」を日ごろからいっぱいノートやメモに書きとめています。そして、風評に左右されず本当に大切なものを見つけてゆく。
そういう気持ちで選んでゆくと、自分の回りにそろってきてくれた“モノ”たちは良い笑顔でそこに“居て”くれるように思えるのです。

 あと、モノに対して「使い倒す」という表現もありますけど、実のところあまり好きな表現ではなくて、やはりモノへも敬意を表したいなという気分があります。
モノへの愛着は固執とは違って、思いやりややさしさと対なのではないでしょうか。モノを大切に思える気持ちは人への愛情と密接に連なっているように思えてならない今日この頃です。

・・・

 実は先日こんな場面に遭遇しました。
 大きなショッピングモールの文具売り場で私が品物を眺めていると、一組の若い親子連れがやってきました。
 子どもはまだ3,4歳くらいの男の子。
やってくるなりすぐに父親は製図用品売り場でかじりつくように品選びをはじめました。

子どもはその売り場がつまらないらしく、かがんで品選びをしている父親の背中にもたれかかったりしながらごねています。
しばらくするとその父親はそばに居た奥さんに「おい、こいつうるさいからあっちへ連れて行けよ!選べねぇじゃねーか!」と乱暴に声を荒げたのです。

そして返事も待たずにまた製図用品にかじりつくように品物選びを続けているのです。
子どもは悲しそうな顔をしながら母親の腰にしがみついてしまいました。

・・・

 私は父親の気持ちもなんとなくわかるし、きっと虫の居所が悪かっただけなのだろうと信じて居ますが、やっぱり関係のない私でも少し悲しくなりました。
 子どもの気持ちはもちろんだし、またそうやって選ばれたモノたちもあまりイキイキと使われないんじゃないかな、などと余計な勘ぐりまでしてしまいました。

 私たちの周りにあるたくさんのモノたち、そしてかかわりあうたくさんの人たち。
自分を取り巻く多くの事柄の中で、“大切なもの”を本当に真剣に探すとしたら、きっと、いろんな側面から自分を見つめ直す必要があるのかもしれません。