2014年8月1日金曜日

【雑記】司馬遼太郎『以下、無用のことながら』から今を見つめて


 

司馬遼太郎の文庫『以下、無用のことながら』を開くと、最初の随想に「新春漫語」という文章がある。

何気ない話に違いないが、その文のおわりに昭和恐慌の話が出てくる。

昭和恐慌について詳述はしないが、この歴史的出来事について司馬が、
私どもにとって負の歴史ながら、思いようによっては、世界や民族や国家とは何かということを考える契機をつくってくれている。マイナスとはいえ、資産である。
と述べているのが印象的だった。

また続けて、

そんな世代の者としての私は、今度こそ日本人は賢くふるまうはずだと期待するほかないのである。
といい、
昭和恐慌のあとの不況期にはひとびとは左右のイデオロギーのために思慮分別をふりまわされたが、今度はそういうばけものは出っこない。
という。

ふぅむ。と一人考えこまざるをえないのである。

もちろん考えこんでみても何も出てきやしないし、何か意味のあるような話のできる素養もない。

でも司馬遼太郎が上のようなことを異なる言い回しで「もうこんなことは起きっこない」と繰り返し述べていたことを、しみじみと考えてみることはできる。

彼の没後、奥さんがテレビで語っていたことを思い出した。

奥さんの言うには、司馬遼太郎は「日本は滅びる」と繰り返し述べていたという。

しかし彼は文章にはそうしたこととは逆の「未来に希望を託す」というスタンスを示し続けていた。

最初の随想の結びで彼はこう言って括っている。
「ばけものが出ないかわり、自分で考えねばならない。もしたれもがそのような気概を持つなら、景気の回復をとやかく期待する以上に、この時代が後世のためのプラスの資産になるかもしれないのである」
この文章は1994年元日に中日新聞に掲載されていたものだ。

90年代初頭はちょうどバブル経済が崩壊し、不況と先行きの不安が世を覆っていた頃である。

それから今年はちょうど20年後に当たる。

現在はもっともっと諸問題が複雑化しており、事態はより多岐に渡って深刻であり同時に危機的である。

不安感は社会全体に暗雲のように重く垂れ込めている。

彼が希望として願った状態とは全く反対に、メディアも人々も政治も「左右のイデオロギー」に「思慮分別をふりまわされ」 ているし「負の歴史」を隠蔽して「資産」としての学びからは目を背けようとしているように私には見える。

だから司馬遼太郎が先見性がなく彼のアテが外れたということを言いたいのではない。

早晩こういうことを日本人が繰り返すであろうことを彼ほどの大作家なら予見できなかったはずがない。

予見できたからこそ、そうならないための未来を強く希求した。

いままさにひとりひとりの不断の努力が問われている。