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2019年9月9日月曜日

【思索】エゴイズム(アーカイブス)

2004年12月2日に記している過去記事のアーカイブスを上げる。
今はもうすでにWEB上に存在しないBlogで当時書いた記事の掘り起こしである。
内田樹さんの【「週刊ポスト」問題について】を読んでいてふと思い出したのだった。



2017年2月18日土曜日

【思索】敗戦、そして憲法がもたらした未来としての今




敗戦、そして憲法がもたらした未来としての今

日本が世界史的にも稀有な憲法を持つに至った経緯と本質について考えている。

にわかに「連合国側の押し付け憲法だったのだから自主憲法の制定が必要だ」とする声が強くなってきている昨今だが、そのことへの違和感がどうしても拭えない。

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2017年1月4日水曜日

【思索】自分の言葉で


 アーカイブス。思索雑記はたくさんあるが、殆どはお蔵入り状態で、しばらくはそれらの掘り起こしをしていきたいと思っている。
 以下の文章は自分の考え方の骨子のようなもので、あちこちに同様のことを書いているので、その一典型として。

【思索】多様ということ



 以下の文章は2004年9月に雑記した自身の過去文の掘り起こしである。
 その時時で憂いの多い自分で、おそらくは世の諸々に思うところあってこのような赤裸々さで書き連ねたのだと思われる。
 「多様性(diversity)」というワードは、もう手垢にまみれてそれ自体には訴求力が失われているようにも思えるのだが、しかしそうではあっても、言葉の核に潜む“本質”を求める自分の内的な思索は無駄ではないと考え、掘り起こしを掲載してみる気になった。
 とりとめなく、特段示唆のある話でもなく、文章としても稚拙かつ不出来なもので恐縮だが、あえて。

2014年9月17日水曜日

【時事】迷走する情報流通と受け手のリテラシー



新聞報道についてが目下のところ世間の主要話題のようだ。

秘密保護法、領土問題、STAP、解釈改憲、閣議決定、朝日報道・・・と、実に話題の変動がめまぐるしい。

個々のトピックについての様々な論評、刻々と変化する情勢のライブ報道を眺めていると「そういうものか」とつい受動的に聞き流してしまいがちだ。

しかしそれら人為的な事象のほとんどには、なんらかの世論誘導的なバイアスがかかっていると考えるべきだろうし、そういう思考グセは持っていた方が理性的判断をしやすい。意図的な「情報操作」はある。ないわけがない。「鵜呑みの病理」にとらわれぬためには多少負荷となっても短絡的に信じぬ心性はあった方が良い。

話を戻すが、「情報操作」というと非常に悪質なものに聞こえるが、世にあふれるあらゆる情報は広告にせよ広報にせよ、何らかの意図を持って流布されているものである。報道されるニュースについても(それらの公平性を担保するべき法の理念や倫理上の合意はあるにせよ)例外ではない。

全ての情報は「それを流布することで益を享受するものがある」というフィルターをかけてみる必要がある。同時にそれらの情報がいかにして流通しだすのかを見極める「眼(視座)」を各人持つ必要がある、というのが本稿の主題である。

2014年8月22日金曜日

【雑記】先鋭化する理想主義にご用心


理想の先鋭化

世の中には理想を追求するあまりに先鋭化して、その理想を他者に押し付けようという心理(人々)がしばしば発生する。

と、こういう話をするとたいてい政治的宗教的思想的な話になりがちだが、今回はそういう話ではなく、もう少し生活に身近なことどもについてである。

2014年8月1日金曜日

【雑記】司馬遼太郎『以下、無用のことながら』から今を見つめて


 

司馬遼太郎の文庫『以下、無用のことながら』を開くと、最初の随想に「新春漫語」という文章がある。

何気ない話に違いないが、その文のおわりに昭和恐慌の話が出てくる。

昭和恐慌について詳述はしないが、この歴史的出来事について司馬が、
私どもにとって負の歴史ながら、思いようによっては、世界や民族や国家とは何かということを考える契機をつくってくれている。マイナスとはいえ、資産である。
と述べているのが印象的だった。

また続けて、

2014年1月30日木曜日

【雑記】郵便局との広まる距離感

郵便局というものを本当に使わなくなった。

年に何回行くだろう。

おそらく窓口で郵送物を依頼しなければならない時を除いては年に1、2度行くか行かないかだろう。

年賀はがきの書き損じや余剰分を普通切手(またはハガキ)に交換するときと、お年玉はがきが当選していたとき(所詮切手シートだがこれは毎年コレクションしているので)仕方なく行く。
 

しかしそういう季節物として極めて儀礼的なかかわりにおいてしか、もはや「サービス機関としての郵便局」を利用することはなくなっているということだ。

そして、その郵便局に出向く希少な機会には毎度「なんでこんなに対応が薄鈍いんだろう」とか「サービス業の自覚は皆無なんだなぁ」などとネガティブな印象を持ち帰ることになる。

2014年1月22日水曜日

【雑記】自分の時間を取り戻すためのネットワークと情報の遮断


■ 情報の過剰摂取

私たちは加速度的に早くなる情報化社会の中に生きています。
日々新しく生まれてくるデジタルやネットワークツールに心を奪われますし、それらを使いこなせないと周囲や時代に置いていかれてしまうという焦りを抱き、日々濁流のごとく流れる情報群に目も心も奪われ続けています。

たとえば携帯電話やスマートフォンを朝の出掛けに家に忘れたとしましょう。
とりに戻れる時間があれば良いのですが、その余裕がなければ一日情報端末を持たずにそれを気がかりに過ごすことになります。
不安になり、落ち着かない気分になるかもしれませんね。
実際、そのツールに依存した生活を構築していれば実害もあるかもしれません。

でも一呼吸おいて考えてみると、普段自分がいかに流動化する情報に心奪われて過ごしているのかを自覚することができるかもしれません。
リアルタイムに更新され続ける情報、人々の声、誰かの取り組み、市場や政治の動向、自分へのメッセージ・・・数えればきりがないほどに端末が私たちにもたらす情報の量は多いわけです。
それらを常に獲得していないと不安になってしまう心理状態って普通じゃないのかも、と。

2013年11月27日水曜日

【思索】今が全てではない「学び」の「その先」



若い時、特に大学生あたりの時には「自分は自由でなんでもできる」という「錯覚」を抱きがちだが、実際は言うほどのことはできないしその能力も備わっていない。

前提としてその人間が「置かれた境遇」に依ることは確かだが、多くの場合大したことはできない。

しかしそれでも頓着なく突っ走ってヒックリがえったり頭殴られたりしてガツンと痛い目に遭えるのもこの頃。

そうしてかいた恥がだいたいその後の人生の実感としての教訓だったり人間観になったりする。

「生まれ」とか「育ち」とは違う「実体験」としての人間性の形成過程。

2008年12月5日金曜日

【思索】“好きこそ物の上手なれ”ですね



銀座・伊東屋 万年筆売り場の方の愛用文具 - [ステーショナリー]All About

 この記事では万年筆売り場を担当されている方の万年筆談義と、自身のモノへの思いがインタビュー記事として紹介されています。

 思えば、自分がやりたいと思うことが必ずしも職業にできるわけではないわけで、好きな物と仕事とは別々に分けてしまうことは往々にしてあるのです。それを両立させるには、おそらく自分の中でよほどはっきりと「これが好きなんだ」と思い切るより他はない。
 
 糸井重里さんの『思い出したら、思い出になった。』(ほぼ日ブックス)のなかには、

2008年11月1日土曜日

【思索】「大切なもの」と出会うために



 私は事務仕事なので筆記具も帳面(古い表現かもね)もたくさん使いますし、職場にも公用で購入した廉価な事務用品がたくさんありますので、それらも消費的に使用しています。

 でも、たくさんある品物の中から自分にとって最適を選び出し、それに特別の思いをこめて使用する喜びも最近つとに感じていて、やっぱり公費ではなく、自費で購入して愛着を持たせていったほうが遥かに良いと、マイマスト探しにいそしんでいるしだいです。

 手帳にしてもペンにしても、日ごろ自分が使うものにはたくさんの選択肢があります。店頭にはそれこそ所狭しと華やかに各社入り乱れて魅力的な品々が並んでいます。WEB上にも紹介サイトや販売サイトが無数にあり、それぞれに「イチオシ!」「店長おすすめ!」などの言葉とともに良さげな商品が楽しげに紹介されています。

2008年10月28日火曜日

【思索】“良”と“悪”という二項対立でいいのかな



たいした経験も知識も教養も持ち合わせていないけど、 世の中にあるいろいろなモノを頑迷に“良”と“悪”に 分けて、むやみに“悪”を叩くような身勝手な人間にはなりたくないと思っています。

2008年10月14日火曜日

【思索】モノ選びの着眼点



 ここのところ機能的な生活を心がけたいといろいろなものを買いそろえている。それは日ごろ使うペンやノート、手帳やデスク周り収納品、バッグなどさまざま。